木や草や稲などの植物を生き物と考えるならば、それらに苦痛を与えて食物として食べるとすれば、それらは悪い食物ではないでしょうか。そしてそこから生じる快楽は不純な心と内臓の快楽です。
木や草、稲といった植物も生きています。もしそれらに苦しみを与えて食べるなら、それは実は邪悪な食べ物です。その野菜を食べることで得られる喜びもまた、不純な内的感覚の喜びです。一見正しいように思えますが、深く真理を探求すれば、それは真実ではありません。
木や草、稲といった生き物は、触覚という感覚しか持ちません。生命の顕現は限られた範囲でしか輝きません。植物を生み出す種子は物質(生命のないもの)です。私たちは自らその種子を蒔き、生命を育みます。私たちは、その源となる植物を殺さず、休眠中の種子、野菜、果実、花、塊茎、葉だけを食べます。
私たちは植物の生きた源そのものを食べるわけではありません。そこから育った野菜や果物を食べても、過度の痛みは生じません。
爪や髪を切ることは痛みを伴いません。植物には心が発達していないため、殺生とはみなされません。苦しみを伴う行為ではないため、慈悲に反する行為ではありません。
植物性の食物を食べることで得られる喜びは、存在と神の表現に過ぎないことを理解することが重要です。